■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

−トボトボある記−
《その9》
                                                平成18年7月14日
9.佐々木俊郎のこと
 8日目−ボクは、引き続き図書館で「熊の出る開墾地」を書いた佐々木俊郎を調べてみた。氏は、明治33年に宮城県で生まれている。十勝には大正4年、15歳の夏に浦幌町に住む叔父を頼って来道している。浦幌町史(585ページ)によれば、「池田に住む叔父を頼って来道」と書かれているが、佐々木俊郎選集には、「大正4年、上野目小学校高等科を卒業。この夏、北海道浦幌に親戚をたよって渡道。秋、池田機関庫に就職。大正5年、2月9日付け、かねてあこがれだった機関夫となる。晩春、母危篤の虚を構えて郷家に戻される。(5月29日付け退職)帰郷後、母校上野目尋常高等小学校夜学会に通い、12月末第一部を修了。」と書いてある。ボクは、佐々木俊郎選集に書かれていることを信ずることにした。
 ただし、ここで言う「浦幌」「池田」が明確に行政地域を意識したものかは定かではない。
 ところで、「熊の出る開墾地」は、昭和4年に文章倶楽部に発表した作品である。昭和8年に33歳と言う若さで佐々木俊郎は亡くなるが、活躍期間わずか8〜9年の短い作家活動の中で、浦幌を取材して書いた「熊の出る開墾地」は代表作となった。


35.佐々木俊郎の似顔絵
  (菅野作品)
36.浦幌町史の佐々木俊郎

←前 次→


     




inserted by FC2 system