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−トボトボある記−
《その8》
                                                平成18年7月13日
8.徳川夢声のこと
 7日目−何度も書いているが、最初の十勝ロケ映画「熊の出る開墾地」は弁士が重要な役割りを担う無声映画でした。この映画ができた昭和7年の7月1日には、帯広の「ミマス館」「栄楽座」で上映されている。この映画の原作者佐々木俊郎の著作集(佐々木俊郎選集)をひも解くと、《昭和7年4月、不二映画「熊の出る開墾地」が封切られた。(主演鈴木傳明・池上喜代子、監督鈴木重吉、弁士徳川夢声)》との活字が飛び込んでくる。
 徳川夢声!この名前をボクは見過ごすことはできない。昭和22年生まれの僕は10歳、つまり昭和32年からおよそ5年間半、夢声(66歳)はNHkテレビの推理番組「私だけが知っている」に出ていた。テレビが貴重な時代であった。ボクらの目は皿だった。だから当時の僕には、あの「ワタシーーだけが、知いぃって、いるぅ。」と言った独特の番組紹介の語調と徳川夢声の名探偵長役ぶりが鮮明に今でも脳裏に残っているのである。
 あの徳川夢声、この帯広で上映された「熊の出る開墾地」の弁士だったとする記録はない。でも、東京の映画館では確かに弁士だったのだ。
これだけで、なんか楽しくなるボクである。


31.徳川夢声(菅野作品) 32.徳川夢声と佐々木俊郎の
  「熊の出る開墾地」


33.青年期・徳川夢声の似顔絵
      (菅野作品)
34.晩年・徳川夢声の似顔絵
      (菅野作品)

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