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−トボトボある記−
《その5》
                                                平成18年7月10日
5.大正時代の映画館
 4日目−この時代の資料を見ると、映画館の営業品目に「活動写真」(無声映画)の他に「連鎖劇」と言う言葉がでてくる。
 「連鎖劇」を調べて見た。連鎖劇とは、舞台と映画をからめた劇のことを言うらしい。映画や芝居に出てくる同じ衣装を来て生身の人間が舞台に登場するものらしいが、その奇抜さが観客に受けたらしい。ただし、初代キネマ館を大正8年に開設した荘田喜六は、キネマ館に寝止まりしていた劇団員を出演させたらしいが経営は失敗したと言う。(帯広映画史読本から)
 とにかく、この大正時代の帯広は活動写真、連鎖劇や歌舞伎劇などが盛んだったようだ。芝居小屋から始まった「朝倉座」は、「朝倉陽気館」としてグレードアップ、そして大正5年には(1916)「栄楽座」(今越惣吉経営)、大正7年(1918)には本格的な映画館として「神田館」(佐藤市太郎経営)が誕生している。更には、大正8年(1919)には「キネマ館」と大衆娯楽館の設立ラッシュは続くことになる。
 また、大正時代の終わり頃には、「神田館」は「美満寿館」に、「陽気館」は「千代田館」と改名している。
 正に、開館ラッシュ、経営者交代と大衆娯楽は忙しかったようである。


15.なぜか強い関心が湧く活弁時代風景   16.もう一度(鎌田作品)


17.初代「キネマ館」が荘田喜六によって誕生。
  2代目経営者は夷石民夫‐大正8年‐
         (菅野作品)
18.「陽気館」は「千代田館」と改名した。
      ‐大正10年‐(菅野作品)


19.大正末《千代田館》は、イルミネーションを
  灯した「電気館」と改名。昭和初期火事で
  消失。(菅野作品)
20.「神田館」は、経営者が交代し「ミマス館」
  と改名。‐大正末‐(菅野作品)

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