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−トボトボある記−
《その6》
                                                平成18年7月11日
6.昭和初期と映画
 5日目−昭和の初めは、映画館経営者にとって波乱万丈の時だったと言えるようだ。先ず、朝倉座の流れを受ける昭和5年ごろには「第二キネマ館」と改名していたが、昭和6年にはもらい火を受けやむなく廃館している。
 大正5年に開設した「栄楽座」は、大正11年に経営者も今越惣吉から藤下儀右衛門に変わっていたが、昭和7年の記録を見ると、日活系の活弁つき無声映画からサウンドトーキー中心へと変わろうとしている。
 大正7年、最初から本格的映画館としてスタートした「神田館」は、大正末には経営者を佐藤市太郎から加森為蔵らに引き継ぎながら上映を続けていたが、昭和3年に映画のフイルムからの引火火災を起こし、経営者は野村文吉に変わると言う時代であった。(帯広映画館史より)
 ところで、私がここで注目したいのは「昭和7年」の年である。実は、きっと十勝をロケ地にした映画としては「最初の映画」だと考えられる「熊の出る開墾地」がつくられているのである。
 ここまでの調査をおえたボクは、いよいよロケ地訪ねて広い十勝管内をトボトボ歩き始めることができるのである。
 もちろん、情報を持っている人を頼りながらである。


21.井上さんから鎌田さんへのハガキ 22.本映画発達史」(中公文庫発行)の中の
  「熊の出る開墾地」「不二映画」の紹介
  ‐昭和7年頃‐

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