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−トボトボある記−
《その4》
                                                平成18年7月10日
4.活動写真時代
 3日目−今日は手持ちの資料で「映画のはじまり」を調べることにした。声と画面が一緒ではない活動写真が、日本に入ってきたのは明治29年(1896)2月、帯広には明治37年(1904)の朝倉座の開設あたりらしいことはすでに述べたが、確かな上映期日は定かではない。
でも、明治41年(1908)に帯広聖公会の牧師が岡山孤児院の義援金を集めるため「朝倉座」で活動写真の上映会を開いたことは確かである。そしてこの活動写真・無声映画時代は、昭和10年頃まで続くが、その間に帯広にはいくつかの映画館ができている。大衆娯楽が成り立つことは、まちに元気があったことだとは言えないだろうか。
 ここで、少しその雰囲気を探って見ることにする。先ず、明治37年(1904)にできた芝居小屋「朝倉座」は、大正4年(1915)に「朝倉陽気館」と開設するが翌年2月には火事で半焼することになる。
 「朝倉陽気館」が焼ける前の年に、後に「帯広劇場」と改名する「栄楽館」ができた。この「栄楽座」は回り舞台もある立派なものだったと言う。歌舞伎、活動写真が上演され、活動弁士のはなやかな時代であり相当な繁盛映画館だったらしい。この活動弁士であるが、正に日本独特の無声映画文化をつくることになるのである。


13.「朝倉座」は「朝倉陽気館」として開場
      ‐大正4年‐(菅野作品)
14.十勝で初めてロケした映画「熊の出る開墾
  地」の地元上映館―栄楽座―(菅野作品)

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