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24.ボクと学校と映画のこと |
23日目−ボクは昭和35年3月に小学校を、昭和38年に中学校を卒業している。ここまで十勝のことを調べてきたボクは、急に村の学校だったためか映画館と映画を関連づけてはほとんど記憶がないことに今旅の途中で気がついたのだった。
そこで、ボクらの小中学校時代と映画のことを少し調べたいと思い図書館に行って見た。適当な本、資料は見つからなかったのでボクは、家に帰り上京した時に神田の古本屋で買ってきた数冊の本に目を通すことにした。
その中から、昭和40年に発行された「アッパの眼−本宮映画教室の十年」(岡部司著)と言う本を参考にしながら自分の少年時代を振り返って見たいと思う。この本は、当時福島県本宮町で小学校の教員だった岡部先生たちが「いい映画を子どもたちに見せたい」映画教室の足跡を記録したものである。「アッパ」とは、この地方の方言で「唖」であり言葉を出すことのできない状態を言うらしい。映画「裸の島」を紹介するところで「アッパ」の文字がでてくる。昭和37年上映のこの映画は台詞のない映画だった。
昭和37年にはボクはすでに中学生になっていたが、この映画のことは知らない。この本を読んでいてボクは、そう言えば「文部省推薦映画」と言う言葉があったなあと思い出しながら、昭和20〜30年代の映画の記憶を辿って見たいと思う。
昭和29年−「笛吹童子」「紅孔雀」「二十四の瞳」
昭和31年−「少年探偵団・透明怪人」
昭和32年−「赤胴鈴之助」
昭和33年−「月光仮面」
昭和34年−「にあんちゃん」「少年猿飛佐助」
昭和35年−「路傍の石」「名もなく貧しく美しく」
昭和36年度−「安寿と厨子王丸」「キューポラのある街」
ボクの少年時代と映画については、十勝と映画の旅をしながら「一休みの時間」をつくりもう一度語りたいと思う。
ただどうしてもここで、「週間少年サンデー」(小学館)と「週間少年マガジン」(講談社)には触れておきたいのである。いづれも昭和34年の創刊となっているであるが、初めて定期的に親から買ってもらえた漫画がこの二つであった。いや、実際はボクは「サンデー」を買ってもらい、すぐ向かいの秋庭孝君(亡くなってしまったが)が「マガジン」をとなっていたのであるが、二人の家を行き来して読みあったのであった。「たかしちゃん、ありがとう!」
ここまで書いて、なぜかボクはほっとしている。
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