■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

−トボトボある記−
《その25》
                                                平成18年8月10日
25.もう少し、寄り道
 24日目−ボクは、映画の情報を頼りに十勝を一緒に旅する菅野・鎌田両氏と雑談するうちに、もう少し子ども時代に見た映画の記憶を辿ることにした。お互いに思い浮かぶ映画のタイトルをあげてみた。忘れないうちに列挙したいと思う。
昭和32年−「喜びも悲しみも幾歳月」「嵐を呼ぶ男」
昭和33年−「月光仮面」
昭和34年−「少年猿飛佐助」「キクとイサム」
昭和35年−「次郎物語」
昭和36年−「キューポラのある街」「安寿と厨子王丸」「用心棒」
昭和37年−「渡り鳥北へ帰る」「キングコング対ゴジラ」
昭和38年−「悪名波止場」
昭和39年−「宇宙の勇者・鉄腕アトム」「愛と死をみつめて」
昭和40年−「エレキの若大将」
昭和41年−「白い巨塔」「網走番外地・南国の対決」
昭和43年−「無頼黒ヒ首」「緋牡丹博徒」
昭和44年−「花と喧嘩」
昭和32年のボクは小学4年生で鶴岡にいた。昭和44年のボクは大学の4年生で東京生活だった。そして昭和45年の9月には社会人として帯広での生活をスタートしたのであった。ちょうど、西2条9丁目に夷石ビルが新しく出来上がり、新キネマ館とおびひろ日活がオープンした年である。
 時計の針を逆に回せば、昭和44年にはキネマ館と大映が夷石ビル新築のため閉館している。昭和42年にはスバル座、昭和36年にはミマス映劇の映画部門を閉館しているが、逆に、昭和35年には帯広東映がオープンしているのである。
 ものの値段を調べて見た。昭和32年の映画は150円の入場料だった。昭和33年砂糖は1キロ140円、34年の白米10キロは870円、35年の風呂代は17円だったのである。
 更に言えば、昭和36年のラーメン代は50円、37年頃のレコードは290円した。床屋代は280円、タクシーの初乗り料金は100円で乗れたのであった。昭和40年の東京紙新聞の購読料は580円、帯劇の映画代は350円だったが、41年には市内映画館は500円の入場料に得上がりしている。昭和42年の公務員の初任給が25,000円時代の話である。
 もちろん、今の時代と物の価値が違うのではあるが「庶民の味」が伝わってくる時代でもあったと言えるような気がしてならない。
 3人は、貴重な映画雑談話に酔いしれていたのであった。


99.昭和32年(1957年)
  (菅野作品)


100.昭和32年(1957年)
   (菅野作品)
101.昭和33年(1958年)
   (菅野作品)
]
102.昭和34年(1959年)
   (鎌田作品)
]

103.昭和34年(1959年)
   (菅野作品)
104.昭和35年(1960年)
   (菅野作品)
105.昭和36年(1961年)
   (菅野作品)


106.昭和36年(1961年)
   (菅野作品)
107.昭和36年(1961年)
   (菅野作品)
108.昭和37年(1962年)
   (菅野作品)


109.昭和37年(1962年)
   (菅野作品)
110.昭和38年(1963年)
   (菅野作品)
111.昭和39年(1964年)
   (菅野作品)
112.昭和39年(1964年)
   (菅野作品)
113.昭和40年(1965年)
   (菅野作品)

←前 次→


     




inserted by FC2 system