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−トボトボある記−
《その22》
                                                平成18年8月2日
22.映画「馬喰一代」のロケ
 21日目−今日は、新得町の図書館に行くことにした。どこでボヤッと記憶にある「馬喰一代」の映画が昭和38年に、今の道立畜産試験場(当時は新得種蓄牧場と言った)でロケが行われていたのだ。
 「馬喰一代」は、北見市に近い留辺蕊町出身の作家中山正男が大正末期を生きる実の父親をモデルに書いた小説である。その小説が初めて大映の手によって映画になったのは昭和5年の話である。主役の馬喰片山米太郎は演じたのは31歳の三船敏郎だった。その米太郎に思いを寄せる飲み屋の女役は京マチ子である。そして、米太郎が大嫌いな金貸しには志村喬とくるのである。言うまでもなく、この映画は大ヒットするのであった。
 昭和5年から33年が過ぎてこの映画は、東映映画として再現されることになるのである。配役も、三国連太郎、新珠三千代と変わる。なぜ、北見が舞台の映画が新得なのかそこを知りたいと思ったボクは、新得の図書館に行けば何か分かるだろうと考えたのであった。
 早速「新得町史70年史」を開いて見た。108ページにこう書いてあった。「この映画が本町で行われることになったいきさつも、平野町長と作者中山正男との親交に由来するもので〜」と。当時の町長と作者の個人的な親交が、新得での映画づくりにつながった訳である。そして、新得町民300人以上がエキストラで出演することになったと言うのであるから、きっとその頃の新得の町は「馬喰一代」の話で盛り上がったことだろう。容易に想像のつくことである。
 ところで、この映画がつくられた年のことだが、昭和38年1月12日の毎日新聞にはショックなことが報道されている。「サリドマイド生体実験」がそれである。
サリドマイド系睡眠薬とアザラシ状奇形児誕生の関係が昭和33年頃から大問題になっていた。そんな中、救済のための対策が進まないことに業を煮やしたある夫婦が自らの人体実験でその因果関係を証明しようとしたのであった。  結果は、その夫婦の思い通りにならなかったこともあり、「世論をおこそうというのはよいが、興味本位にとられる扱いは絶対こまる」(徳川夢声)「世論への訴えより、若い女性に結婚、妊娠の恐怖を与えるだけ」(秋山ちえ子)の談話が新聞記事となったのである。
 このことが映画の話とどう関係するのかと問いたい人もいる事だと思う。これは、ボクの個人的な話になるのだが昭和38年1月のボクは中学3年であった。それから4年後にボクはこの問題に関わりを持つ学生生活を送ることになったのである。そこで、先ずは自分史的に記録に止めておこうとした次第である。お許し願いたい。


86.昭和38年(1963年)
  (菅野作品)
87.(鎌田作品)

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