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−トボトボある記−
《その21》
                                                平成18年8月1日
21.「大草原の渡り鳥」と「おけさ渡り鳥」のロケ
 20日目−1960年(昭和35年)、小林旭の渡り鳥シリーズ5作目になる「大草原の渡り鳥」は、摩周湖周辺が主な舞台となっている映画だが、帯広でもロケが行われている。例えば、当時の国鉄帯広駅であり、お菓子の千秋庵帯広店(今の六花亭)などがロケ地だったのである。また、この映画にはエキストラとしてキネマ館の社員が狩り出されて出演しているのである。
 この映画にはもう一つエピソードがある。
 「もうかれこれ40年も前のことである。私が帯広畜産大学獣医学科の学生で解剖学研究室にいた時であった。先輩たちが、研究室の廊下にあった馬の骨格標本の移動を手伝えと言うので、何に使うのかと聞いたら映画に使うとのことであった。それなら、すでに組み立ててあるものより、組み立て前の骨格一体分を集めたほうがいいとなりその通りにしたことがあった。その骨は、忘れた頃に戻ってきたが人のあばらの部分にあたる骨が折れていたのである。先輩たちは撮影の人に詰問していた。その説明によれば「トムラウシの原野を小林旭が馬でくると、岩陰から穴戸錠がライフルで小林旭を狙う場面があった。原野には、馬が朽ち果てて白骨状態で横たわっている。打った玉が運よく小林旭をそれて馬の骨にあたることになっていたが、玉があたる演出に使った爆薬が貸してもらった馬の骨に近すぎて借り物の馬の骨を折ってしまった」とのことであった。これが、小林旭の「渡り鳥シリーズ」和製西部劇の1シーンに、帯広畜産大学の財産が貸し出された貴重な記録である」とは、ボクが聞いた話である。もちろん、この話は大学の公式文書にはないことと理解すべきであろう。
 1962(昭和37)年に撮影された釧路市出身の歌手のこまどり姉妹が主演する「こまどり姉妹 おけさ渡り鳥には、姉妹の下積み時代に広大な北海道を母親と流し歩いて場面がおさめられている。その場面の一つに帯広市内での一コマがでてくるのであう。今でも、こまどり姉妹は帯広に来ると西2条南10丁目にある「歌夢音」の淵根章氏を訪ねている。淵根とこまどり姉妹は、昔同じプロダクションにいたことがあるのだそうだ。
 こまどり姉妹の歌は数え切れないくらいあるが、その中に「帯広の町よさようなら」と言うのがある。先日も、久しぶりで帯広に来てラーメンを食べているこまどり姉妹の報道があった。しっかりと十勝・帯広の記録にとどめておいてもいいとボクは思うのである。
 昭和36年の映画の話題を探せば、新東宝が経営不振で銀行取引の停止となっている。熱湯を注ぐインスタントラーメーンもこの時期に出始めている。
 昭和37年には、奇形児問題でサリドマイド系睡眠薬が販売停止になっている。 


82.昭和35年(1960年)
  この映画は、阿寒湖周辺そ
  して帯広市内でロケされた。
  (菅野作品)


83.(鎌田作品)
84.昭和37年(1962年)
  この映画は、波乱万丈なこま
  どり姉妹の人生を語るもので
  あった。(菅野作品)
85.(鎌田作品)




◆ 特別寄稿 ◆ 「大草原の渡り鳥」のこと
帯広市・菅野孝雄

 昭和35年(1960年)に制作された日活映画「大草原の渡り鳥」について私の思い出を話したいと思います。
 この映画は、小林旭の映画・渡り鳥シリーズ第5作目でした。摩周湖、美幌峠、阿寒湖畔などが大型スクリーンに映し出されたのですが、その景色は正に大パノラマと言えるものでした。私は、北海道の広さや美しさに改めて感動したのでした。
 映画のストーリーは、アイヌ民族に関わる内容だったと覚えています。阿寒湖畔はそう言う意味からも必要な場面だったと思いますが、帯広でもロケが行われたのでした。
 帯広の主なロケ先は、帯広市役所、千秋庵(現六花亭)、服地のしのかわ(現シノカワ)、国鉄時代の帯広駅、日甜などでした。特に強い思い出としてあるのは、帯広駅から乗客が降りるシーンです。その場面には、キネマ館(夷石興行)の従業員数十人が通行人として狩り出されたのでした。私も、その中の一人だったのです。
 ところで、この映画の最大の見所は小林旭と宍戸錠の決闘シーンでした。銃を手にした馬上の二人が戦うのですが、日甜の工場付近がロケ地でしたが何度も何度もリハーサルが繰り返されていました。ずいぶんと時間をかけて映画を撮るものだと思ったものでした。
 他の場所でもロケ現場は物々しく、特に西2条通りの時は歩道の両側にロープが張られ多くの市民は遠くからの見物となったのでした。
 それでも、ロケが終了した後は、役者の挨拶が映画を上映する舞台であったり、歌謡ショーが行われたりと楽しい時間を過ごしたものです。エキストラとして出演した私でしたが、夜はカメラマンとしてスターの控え室に入ることもできました。そばで、小林旭は石原裕次郎と人気を2分していましたから、その小林旭をそばで見た時「かっこいい」と心の底から思った青春時代真っ只中の私でした。
 

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