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−トボトボある記−
《その2》
                                                平成18年7月4日
2.十勝で最初の映画館
 1日目−ボクは、さっそく旅仕度に入ることにした。この旅の準備には、図書館での下調べは欠かせないが、ボクは先ず、自分の手元にある「帯広市史」を開く事から始めた。
 そこにはの興行の草分けとなる「朝倉座」は、創設者を土建業を営む朝倉繁七の手で東2条南7丁目に明治37年につくられている。ちなみに、活動写真がわが国に入ってきたのが明治29年2月。当時「キネトスコ−プ」と呼ばれた活動写真は、1回わずか1、2分で終わったが大変な人気だったのである。(「日本映画発達史T」より)よって帯広にはこの活動写真、日本渡来から遅れることおよそ10年と言うことになる。言う間でもなく、この動く写真の「活動映画−キネトスコ−プ」は俳優たちの声が画面と同時に出てくるものではありません。当然上映される映画を説明する人が必要になる。ここに、「活動弁士」の元祖誕生となる。
 では、活動写真の題名はと聞きたくなるが、その頃の作品は、全部輸入ものであり「連発銃射撃及び曲打の状」とか「洋人縄振の技を演ずるの図」(「日本映画発達史T」より)等などである。


5.十勝で最初の芝居小屋「活動写真」上映館
    ‐朝倉座‐明治37年‐(菅野作品)
6.帯広に鉄道開通、一番列車が来るぞう!
‐明治38年‐(菅野作品)

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