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−トボトボある記−
《その1》
                                                平成18年7月3日
1.はじめに
 昭和22年生まれのボクももうすぐ還暦。なぜか、自分の足跡を何かで記録しておきたい衝動にかられてしょうがない。そのとき、ふっと浮かんだのが子ども時代に見た映画だった。
 しかし、あの頃色々な映画を見た記憶はあるが、題名、中身を正確に思い出すことはできない。それでもなぜか、映画でその頃の「自分探し」をしたいと思ったのである。なぜ映画かに根拠はない。とにかくボクはそう思ったのである。 
次である。どうせ「辿る」なら、その時代、時代のまちの風景も見たいとボクは考えた。そして、このことで自分の子ども達に何かを伝えたいとも考えたボクは、自分の生まれ育ったふるさとのまちではなく、23才から今日まで暮らし、家族も得たこのまち・帯広の映画の歴史を辿ることに決めた。「十勝びと・上野敏郎」を確認できたらなおいいとも考えた訳だ。
 でも、ひとりの旅では不安なボクは、地元の映画看板絵師菅野孝雄氏と絵手紙作家の鎌田博文氏にも同行をお願いしたところである。
 最初に断っておくは、このシリーズは旅の「1日目」「2日目」「○日目」の書き出しだが、カレンダーのようには進まない日程になっている。この方が、連続性があり後から読みやいとの判断になったことを分かって欲しい。
 ただ、これだけは言えます。この旅の始まりは、平成16年3月15日にある。この日は、ボクの兄の命日にあたる。兄の死がボクに、共通の母校―兄弟―家族―楽しみー映画と連想させたのである。


1.ボクの母校―山形県鶴岡市立斎小学校
      -昭和35年卒業- (菅野作品)
2.ボクと校歌―校歌は小中いっしょだった。
 作詞は 洋一君のお父さん、作曲はあの中
 田義直。なぜか、胸が張れた。(鎌田作品)


3.ボクの母校―山形県鶴岡市立斎中学校
      -昭和38年卒業-(菅野作品)
4.鶴岡座―叔父さんの家の近くにあった映画
 館。一番思い出が多い。(菅野作品)

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