■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

−トボトボある記−
《その18》
                                                平成18年7月26日
18.映画「乳房よ永遠なれ」上映−昭和30年
 17日目−昭和29年8月5日付け十勝毎日新聞の記事を紹介する。
〈郷土帯広出身の薄幸の歌人、中條ふみ子さんは札幌医大の病床より『乳房喪失』を東京の作品社から出版して、世の絶賛を浴びていたが、療養のかいなくついに三日午前10時50分永眠した。ふみ子さんは帯広市西1条南8丁目呉服商、野江豊作さんの長女として少女時代を送り、昭和17年結婚生活に入ったが、不幸な結婚生活は長く続かず、3人の愛児とともに離婚した中条ふみ子さん(31)は、その後業病のガンに倒れ、病床より詠み続けた歌が、作家川端康成氏に認められ、絶賛の序文が寄せられるとともに。女啄木として一躍すい星の如く歌壇に登場した。遺骨は5日午後3時4分の列車で両親の胸に抱かれて帰帯する。〉
これが、当時の新聞記事の全文である。
帯広市は、平成17年に「中條ふみ子賞」を創設しいつまでも郷土が産んだ歌人中條ふみ子の功績をたたえようとしているのである。
この「乳房よ永遠なれ」の映画は、残念ながらロケは帯広ではなかった。ほとんどが札幌であったが、「十勝映画史」に残さない訳にはいかないのである。何と言っても、ふみ子役が月丘夢路、ふみ子が最後に燃えるような恋に落ちる大月明が葉山良二、そして監督は田中絹代なのだから。 


66. 昭和30年(1955年)
  (菅野作品)


67. 昭和30年(1955年)
  (菅野作品)
68. 昭和30年(1955年)
  (菅野作品)
69.(鎌田作品)

←前 次→


     




inserted by FC2 system