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−トボトボある記−
《その13》
                                                平成18年7月18日
13.昭和7年から14年頃の帯広
 12日目−畳席から椅子席に衣替えする昭和14年の「帯広劇場」の誕生まで映画ロケの資料が見つからないでいる。そこでボクは、「十勝毎日新聞70年史」と「写真集・帯広」を手元におき。それまでのまちの風景探しに時間を割くことにした。
 昭和10年の話である。大通りの踏切りは列車が通るたびに通行に支障をきたしていた。そのため、歩行者や自転車などが渡れる歩道橋をつくったのである。戦後この歩道橋は、352メートルの弧線橋となりより便利になったのであった。
  昭和11年11月22日、帯広放送局JOOGが開局した。市内中大変な騒ぎになり、初放送を聞くためにラジオ店の前は人だかりとなったのである。また、市内の商店街では商売客寄せの狙いもあり工夫を凝らしたお祝いの横断幕を出したりしている。
 次は、昭和9年頃の東京の話である。事務員の月給が40円から60円であった時代だ。その頃の映画は、二本立て(ニュース付き)で封切館は大人五〇銭、二流館では30銭であった。席は、男子席と女子席は別々だったが、同伴席をあったらしい。帯広はと聞かれてもボクは分からない。 


42.昭和9年12月には、オールトーキーの「丹下
  左膳」が大人気


43.昭和10年の正月映画は、星れい子主演
  「花嫁日記」だった。
44.昭和11年頃のまちなかには、立派な旅館
  「信陽館」が改装された。


45.昭和12年7月、日華事変で多くの兵士が
  帯広駅から出征した。
46.昭和13年10月18日、第1回帯広市民大運
  動会が開催された。
47.昭和14年3月・4月には、美満寿館で「南郷
  少年」、キネマ館では「愛扇かつら」が上映
  された。

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