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−トボトボある記−
《その12》
                                                平成18年7月18日
12.再び、昭和7年頃の話
 11日目−新しくなった市の図書館にボクはいた。大衆娯楽が「無声活動写真」から「発声活動写真」へと変わろうとしていた時代に、この十勝にどの位の芝居小屋、映画館があったかを調べたいと思ったからである。
 そこでボクは、職員から「十勝一円職業別名簿」(昭和6年.十勝実業新聞社発行)の紹介を受けた。その資料に、「劇場常設館並びに興行之部」を見つけた。実にたくさんの興行の館が載っている。ボクは、持ちこんだ別の資料と照らし合わせながら記録に残すことにした。
帯広町には、「キネマ館」(営業活動常設館)、「ミマス館」(活動常設館)、止若町には「橘座」(活動写真定期巡業隊昭和シネマ)、芽室村には「石川興行部」(活動写真巡業隊)があった。
 この他に、職業分類が(劇場)となっているのが、帯広町には「栄楽座」、池田町には「大谷興行部」「池田富士館」、止若町には「橘座」、御影村には「御影劇場」、芽室村には「八代井館」、「芽室屋」、清水村には「清水座」、新得村には「新得開成座」、そして音更(共栄座)、下幌、上士幌(大黒座)、本別(本別座)、西足寄(足寄座)、茂岩、大津、大樹、広尾、浦幌(丸大座)、上利別、陸別(陸別座)(共栄座)のそれぞれの地区には「○○劇場」と称して「大衆娯楽・お楽しみ館」があったのだ。 


40.昭和5年、二代目「キネマ館」は夷石民夫が
  経営していたが昭和6年に貰い火で火事に
  なり廃館となる。(菅野作品)
41.昭和7年頃の、児童施設「帯広北星保育所」
  (西3条6丁目)

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