帯広の公共施設いま・むかし

調べながら展

<行政・公共の巻>

昭和20年代

画・菅野孝雄氏
56.帯広営林局(昭和22年)


 北海道の国有林が農林省へ移管された昭和22年に、帯広営林局は開庁した。しかし、庁舎は旧帯広市図書館(後に公益質屋として使用)を仮庁舎とし、開庁式も帯広小学校を使ってのスタートであった。



57.十勝馬鈴薯原原種農場(昭和22年)


 政府は、健全無病の種いもを大量に生産する国営農場の必要性を痛感し、北海道には4カ所の農場を設けた。この施設はその一つである。所在地は帯広市幸福町、職員数は43名、面積は266ヘクタールであった。



58.緑ヶ丘野球場(昭和22年)


 昭和22年9月。緑ヶ丘公園内に広さ20,678u、収容人員18,000人の野球場ができた。大正9年から開設されている平和球場の広さ11,901u、収容人員5,000人を比べるとその大きさ、観客数を見て市民待望の野球施設であることが一目瞭然で分かる。



59.帯広営林局(昭和22年)


 「帯広のあらまし」によれば、それまで旧帯広図書館を仮庁舎にしていた帯広営林局の新庁舎が完成とある。但し、営林署関係の資料には昭和23年11月に竣工となっている。どちらが、正しいかはここでの判断とはしないことにした。



60.帯広図書館・公民館(昭和22年)


 昭和22年10月28日、西5条南9丁目1番地にあった十勝公会堂内に公民館が設置され図書館もそこに移設している。すぐ隣には、十勝会館があった。



61.帯広図書館(昭和23年)

 昭和23年6月1日、十勝公会堂内にあった図書館は公民館が狭隘となったことを理由としてすぐ隣、西5条南9丁目2番地に新装なった十勝会館へ移転している。
 十勝会館には、当時馬産振興の象徴的な馬であったイレネー号の銅像が昭和5年8月に建立されたが、第2次世界大戦末期に金属応酬により残念ながら姿を消している。帯広競馬場にあるイレネー号は2代目となる。



62.帯広畜産大学本館(昭和24年)


 昭和24年5月31日、国立学校設置法が交付され帯広畜産大学が誕生した。新制大学としての第1回入学式はこの年の7月1日に挙行された。入学生は、獣医学科42名、酪農学科49名であった。




63.帯広保健所(昭和25年)


 昭和25年5月、北海道帯広保健所は厚生省の定めるA級保健所(モデル保健所規模)に格付けされ、機構拡充のため庁舎の一部を増築した。



64.緑ヶ丘陸上競技場(昭和25年)


 昭和25年9月、緑ヶ丘公園内に日本陸連第3種公認1周400m10コースの陸上競技場ができた。面積20.686u。収容人員17,000人であった。



65.帯広市図書館(昭和25年)


 昭和25年8月1日、西5条南9丁目に他の施設との併設ではなく単独館として帯広市図書館は誕生した。この館は、昭和43年まで使用されることになる。



66.帯広開発建設部(昭和26年)


 昭和26年7月に帯広開発建設部は、西



67.自衛隊帯広駐屯地(昭和26年)


 昭和26年2月16日、(仮称)第1連隊として編成完結した帯広部隊は、同年5月1日、第4連隊として改称、ここに連隊が誕生した。当時の連隊本部は、旧陸軍のコントロールタワー施設を活用していた。
  



68.帯広測候所(昭和26年)


 昭和26年、帯広測候所は帯広市東4条南9丁目2-1の地に新築移転した。



69.帯広刑務所正門完成(昭和27年)



70.平原学園(昭和28年)


 昭和28年7月1日、平原学園は児童福祉法及び児童福祉施設最低基準に基づき、乳幼児を除いた満18歳未満の社会の底辺に放置されている保護者のない児童、その他環境衛生上養護を必要とする児童を収容し、将来健全な社会の一員として役立つよう養護育成することを目的として、帯広市東9条南21丁目1番地に設置された。定員は、60名だった。



71.帯広土木現業所(昭和29年)


 昭和29年、帯広土木現業所は産業発展の根幹である基盤整備を目的として設置された。