帯広の公共施設いま・むかし

調べながら展

<行政・公共の巻>

昭和初期

画・菅野孝雄氏
41.帯広治水事務所(昭和2年)


 昭和2年、西4条6丁目に新築。それまでの帯広土木事務所内から移転。



42.十勝会館(昭和4年)


 昭和4年11月、今上陛下御即位の大典を記念して建築竣工。館内には、大典記念帯広図書館、婦人会事務所も置かれた。昭和16年に開校する帯広高等獣医学校(帯広畜産大学の前身)1期生の寮としても利用された。



43.緑ヶ丘公園(昭和4年)


 昭和4年、元十勝刑務所庁舎跡地267,500坪を活用し公園を造成。野球場や競技場も造られた。



44.町営公益質屋(昭和5年)


 昭和5年12月、それまで町立図書館だった建物は、低所得層に簡易・迅速を特徴とする庶民金融機関となった。今はない。



45.十勝支庁(昭和6年)


 昭和6年12月に、およそ総工費58,000円を掛けて竣工したが当時の施設名は河西支庁と言っていた昭和7年8月15日に、河西支庁から十勝支庁と改称。



46.夜店通りの公衆電話(昭和7年)


 大正7年に帯広駅前に「自働電話ボックス」が設置されたが、大正14年10月に、「自働電話」は「公衆電話」とその呼び方を変更された。昭和7年12月13日、当時夜店通りと呼ばれていた今の広小路に「公衆電話」が帯広で初めて設置された。



47.帯広北星保育所(昭和7年)


 それまで個人経営だった児童福祉施設北星園は、昭和7年9月に帯広町へ移管された。名称も救護院と改め公立の託児所となった。しかし、昭和18年に利用者減を理由に廃止されている。



48.帯広緑ヶ丘飛行場(昭和7年)


 昭和7年、帯広町は5,000円を投じて野球場、陸上競技場などがすでにあった土地およそ7万坪のところに囚人の労役で飛行場がつくられた。しかし、後に軍隊誘致のため寄付されることになる。



49.河西〜帯広税務署(昭和8年)


 国税と地方税が区分されたのは明治8年9月であった。明治33年3月、大通り南1丁目に河西税務署が新設されたが、昭和8年4月には、市制が施行され庁舎は西1条南1丁目に新築移転し呼び名も帯広税務署となった。



50.帯広大通跨線橋(昭和10年)

 
 昭和10年、人々や自転車などを持って渡る歩道橋が竣工した。長さ352メートルの橋が長年の交通の不便さを解消したのである。



51.帯広放送局(昭和11年)


 昭和11年11月22日、3万8000人帯広市民待望の日本放送協会(NHK)帯広放送局が道東ではじめて開局した。帯広小学校の子どもたちが記念出演している。



52.帯広保健所(昭和14年)


 昭和12年に保健所法が制定されて地域の保健指導事業はスタートするが、昭和12年に西1条南8丁目に北海道庁立帯広健康相談所設置、そして昭和14年には東3条南11丁目には所長以下6名のスタッフで帯広保健所が業務を開始したのである。



53.十勝大橋(昭和15年)


 昭和15年10月12日、昭和10年に工事着工した十勝大橋の盛大な渡橋式が行われた。延長369m、幅18mのゲルバート式コンクリート橋で、当時は東洋一、世界ではドイツのザウバハタール橋に次ぐ第2位の面積の橋として話題を呼んだ。



54.帯広高等獣医学校(帯広畜産大学の前身)(昭和16年)


 昭和16年5月1日、北海道庁立十勝農学校を仮校舎として開校した。学生は132名であり、その7割近くは道外出身者であった。遠く台湾、満州出身者もいたが、校舎も寄宿舎も全て借り物であるためか帰るものが増えしばらくして120名近くに減少した。 



55.帯広図書館(昭和19年)


 昭和19年に帯広図書館は、北海道庁帯広冶水現業事務所跡に独立した。この地には昭和22年まで開館することになる。なお、絵の中にある「帯広図書館」の文字は、予想で書いた看板であることをお断りしなくてはなりません。




 



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